秋津野未来への挑戦−ゼロからの出発が三年で5000万円以上に

●ゼロからの出発が三年で5000万円以上に

 5月に開店した農産物直売所きてら。しかし、夏に向かうプレハブの店内は、日を追って持ち込まれる商品の種類や量が目に見えて減っていった。当然、売り上げは伸びない。少ない売り上げは、パートの女性に
支払うアルバイト代、土地の借地料、光熱費などに消えた。8月、9月と2か月連続の赤字になった。「『売れるのかなぁ』と半信半疑の者が多かった。わたしも、その年の秋ごろには倒産するかと思った」、と笠松さんは述懐する。

 赤字経営のきてらを救ったのは、上秋津の特産を箱詰めにして歳暮用に売り出した「きてらセット」である。1セット3000円ほどのセット商品が、人気を呼ぶ。年度末、決算がまとまった。初年度の売り上げは、1000万円近くに達していた。関係者の間にあった不安が払拭された。何もしなければゼロ、行動すれば成果がある、かすかな自信が芽生えた。そのころを、笠松さんは次のようにふりかえる。「きてらセットが売れて客が増加した。ひとが増えれば商品も売れる、みんなの意識が変わっていくのがわかりました」。地域で初の直売所は、農村によくも悪くも“さざ波”となって広がった。

 「きてらセット」は、毎年、春と夏と冬の三回売り出す商品で、きてらの“ドル箱”的な存在だ。注文をはがきやファックスなどで受け付け、地元特産のミカンを中心に季節の果樹や加工品などを詰め合わせにして、申し込んだ消費者のもとに宅配便で届ける。マスコミが紹介したり口コミで広がり、売り上げは“倍々ゲーム”のように増え続ける。「自信」はやがて、「確信」に変わる。2003年度の売り上げは5000〇万円を超えた。

 2004年4月、きてらの店舗は移転、新築された。和歌山県の「木の国の事業」に指定されたからだ。紀州材をたっぷり使った店内のスペースはそれまでの二倍に広がり、販売する商品が目立って増えた。
 旬の野菜や果物が、持ち込まれるようになった。盆石や民芸品も店頭に並ぶ。当初七〇人余りだった出荷者は、2004四年1月現在150人余りで2倍に増えた。高齢者は作ったものを出荷する、高齢者の生きがいの場にもなりつつある。

 きてらを利用する客の7割以上は田辺市民、残りの約3割が市外からの来訪者と推定されている。最近は、紀南観光に訪れて立ち寄る県外ナンバーの車も増えた。遠方から買いにくる消費者もいる。消費者との交流は、生産者に自分たちが見のがしていた価値について気づかせてくれる。「こんなものが、売り物になる」。再認識が、店頭に並ぶ商品の種類を多彩で、豊かにしていく。いま直売所で年間に扱う商品は、果物、野菜、花、漬物などの加工品を中心にざっと200種類にのぼる。商品のほとんどが、地元で作られているものだ。地産地消だ。営業は水曜日から月曜日までの週6日、時間は午前9時から午後4時まで、週末ともなると大勢のひとが詰めかけてにぎわう。