秋津野未来への挑戦−子孫のために“美田”を残す。上秋津愛郷会
 過去をふり返って、もしもあのときにこうだったら、こうなっていたのではないか、という「もしも」は多い。もし、愛郷会がなかったならば、上秋津の地域づくりは、いまとはずいぶん異なったものになっていたに違いない。住民が地域づくりに取り組むときに、資金の有無はやはり重要である。上秋津地域であるひとつのプロジェクトが動き出すとき、財政面からしっかりと支えてきたのが、愛郷会であった。

 上秋津だけではなく、和歌山県内の各地には、「愛郷会」「保郷会」という名のもとに、山林など村の共有財産を保有し、管理する組織があった。ところが、1950年代後半から1960年代にかけて│それは、「昭和の合併」と囃された市町村合併時と重なる│、各地で先人から引き継がれてきた財産を処分して、住民同士で分配し、山林を失い、会も消滅するところが相次ぐ。

 上秋津は、地元の高尾山や三星山、東牟婁郡古座川町七川などに山林を、また地元に土地などを所有していた。しかし、資産の分配はしなかった。「社団法人」組織の愛郷会をつくり、財産を保全管理していく道を選んだのである。法人資格を得るため、初代会長の田中為七さんらが和歌山県庁に泊まり込んで書類をつくったことは、語りぐさになっている。そうして、上秋津愛郷会は、1957年に設立される。
 「上秋津の財産を上秋津の人の手で守る。当時の人たちの思いが、愛郷会という組織を残したのだと思う」、第14代会長の森山薫博さん(1953年生)は、こう言う。

 上秋津公民館や秋津野塾、愛郷会の事務局が入る農村環境改善センター、学校のプールや若者広場などの各用地の購入、確保の際には、愛郷会から資金が支出された。あるいは、集落排水事業にともない、
11ある集落の集会所のトイレが水洗化されたときには、各集落に100万円ずつの補助費を提供した。地域振興、学校教育の振興のために支出される金額は、毎年500万円から600万円にのぼる。上秋津のマスタープランの作成は、町内会の協力とともに愛郷会の資金援助なしにはできなかった。
 そうした資金の裏付けになっているのが、会が管理する地区の財産である山林や宅地などで、基本財産は2003年現在約4億6500万円となっている。高尾山で毎年秋におこなわれ、地区内外から希望者が殺到するマツタケ山の入札も、大切な収入源だ。また、2002年からは和歌山県と共同で、本シメジを育てるプロジェクトが高尾山で試験的におこなわれている。

 愛郷会の会員は509人、1957年(昭和32年)当時から現在まで上秋津に住んでいることが条件である。 それだからといって、会員個々に特典があるわけではない。地域全体に還元していく、それが基本方針だからだ。「会設立当初の理念とこれまでの取り組みを大切にして、地域のためになるのであれば、積極的に支援していきたい」。目先の利益より将来を考えるのは、愛郷会の原点だ。