秋津野未来への挑戦−地域の安心・安全ネットの核として上秋津自主防災会

 1995年1月17日早朝に発生し、6400人の尊い人を奪った阪神淡路大震災。大震災は、悲劇を通して地域コミュニティのあり方を、わたしたちに投げかけた。「ひととひとの絆、支えあうことの大切さを知りました」、奥畑地区で農業をしている泉廣明さん(1949年生)はこう話した。泉さんは上秋津自主防災会事務局長をつとめる。

 上秋津自主防災会(現在会長楠本健治秋津野塾塾長)は、1999年1月秋津野塾のなかに発足した。地元消防団の副分団長をつとめた泉さんや消防団O B ら5、6人が集まり、「災害の恐ろしさ、防災の大切さを話している」うちに、「自分たちの地域は、自分たちで守っていこう」という話になった。その結果、地域で自主的な防災組織が誕生することになる。

 防災会には、情報収集、消火、救出救護、避難誘導、炊き出し炊事の5つの班がある。発会以来毎年、田辺市や和歌山県の防災訓練に参加し、担架を使用しての救出救護活動や消火、避難などの訓練をおこない、防災意識の向上に努めている。2003年8月31日、田辺市の三栖中学校を本部に開かれた防災訓練で、上秋津自主防災会は新たな試みをした。訓練に参加した住民がアマチュア無線を使って、本部と地域内の避難所を結んで情報を送り、避難の状況などを上秋津地域の地図の上に記録していった。「情報マップ」を作ったのである。上秋津では、アマチュア無線の資格を取得している人が、50人以上もいる。「多くはレジャー、趣味でとったアマチュア無線ですが、災害時には携帯電話と併用で活用したい」という目的からだった。初めての企画だったが、泉さんらは、手応えを感じた。農村センター2階のベランダには、無線の交信に必要な高性能のアンテナが設置された。自主防災会は、これまでに11の全地区の区長の協力でそれぞれの地区の避難場所を自主的に決めてもらい、それを電話帳に記載し、全戸に無料配付したほか、一人暮らしや体が不自由な高齢者宅の把握をし、隣近所でささえあうことの大切さを訴えている。

 紀南地方の各市町村、住民の間ではいま、南海地震、東南海地震にたいする関心が高い。大地震がふたたび発生する確率が高まり、大津波による被害が予想されている。行政の防災対策とともに、災害にたいする住民の立場からの備えも求められている。「もっと意識を高める必要があります」、泉さんは啓発の必要性を認める。自主防災会が果す役割は大きい。地域の安心・安全ネットは、住民が主体的につくっていく、秋津野塾の地域づくりの取り組みの柱である。