秋津野未来への挑戦−常しらぬ人国山の秋津野の

●常しらぬ人国山の秋津野の

 上秋津は、田辺市のほぼ中央に位置し、標高606メートルの高尾山のふもとに広がる地域である。面積は12.97平方キロメートル。世帯数約1,020戸あまり、人口は3,300人を超えた。混住化の波に洗われる農村である。
 
上秋津村という名前は、江戸時代にすでに記述があり、いまのような地域のすがたが早い時期にほぼできあがっていたとみられる。時代はくだり、1956年(昭和31年 )、上秋津村は「昭和の合併」と呼ばれる旧村合併で牟婁町に編入されるが、その後、1964年(昭和39年)にいまの(2004年2月現在)田辺市の一地域となる。

 上秋津を貫く右会津川。 川の流れに沿うように走るのは、県道 田辺龍神線である。秋津川の集落を抜けて南部川村との境界の峠を越え、虎ヶ峯を経て、龍神村にと通じる。田辺の町と日高郡の奥深い山のなかの村々をむすぶ道である。その道は龍神村から真言密教の聖地高野山とをつなぐ。上秋津の歴史は、日高地 方との結 びつきが 深い。「虎ヶ峯越え」と呼ばれる道は山の中腹を縫うように走り、いまでこそ整備が進み車の往き来が便利になったが、1970年代後半はまだ道幅が狭いうえに大小のカーブが連続する、険しい道であった。なかでも 南部川村名之内地内(秋津川大沢おおう線)は最後まで残った難所で、1996年(平成8年)11月にようやく車が対向できる2車線道路となった。

 熊野詣道の要ルート中辺路街道は、現在の秋津町、上秋津の下流1.5キロメートルほどから下三栖地域に入り、三栖・八上の両王子を経て富田川に出たあと熊野本宮をめざす。上秋津からは山越えに下三栖にくだり中辺路街道にまじわる道がある。日高と熊野地方の「山村文化と田辺市街地の都市文化をつなぐように立地する、視界の開かれた農村文化圏」、すなわち町と山村 の交流の出入り口にあたり、ひとやモ ノ、情報が行き交っ たと ころが、上秋津だったのである。