秋津野未来への挑戦−天皇杯受賞 それは地域に自信と誇りを与えた

● 天皇杯受賞 それは地域に自信と誇りを与えた

 桜の木が成長して枝を広げる千鉢地区の県道わきに、人目をひく大きな看板があがっている。「豊かなむ ら づ く り天皇杯受賞の地」、そこにはこう書いてある。
 秋津野塾が第35回農林水産祭表彰・村づくり部門 で、天皇杯を受賞するのは1996 年(平成8年)のことである。天皇杯の受賞は和歌山県では例がなく、近畿地方でも初めての “快挙”であった。「無名の農村 」にすぎなかった上秋津は、その日から一躍、 地域づくりで注目されることになる。

天皇杯授賞式−右から原さん、谷中さん 受賞者お言葉をかけられる天皇陛下

「上秋津も、平成に入る頃から人口が増え始め、町内会を中心におこなってきたそれまでの方法では十分対応できないことに気づいたのです。そこで各種団体に呼びかけて、1994年(平成6年) に秋津野塾を立ちあげました」。
 初代秋津野塾塾長 をつとめたのは、 地元で大工をしていた谷中康雄さん(1929年生)であった。
 東京・神宮会館での授賞式、谷中さんは、いまでも賞状と賜杯を受け取った晴れがましい日を思い出す。「賞を受ける、まして天皇杯をいた だくとは夢にも思いませんでした。先人の苦労が認められ、地域全体でいただいた賞でした。 地域の人が土地にたいする自信と誇りをもつようになった」 のを感じ たという。こんにちでは、「何か事業を行 うというときに、 一声かければ、100人くらいのひとがすぐに寄って来て、準備や進行にとりかかる。スムーズにやっていけるのです、これはすごいことだと思うのです。どこにでも自慢できるこ と です」。谷中さんの控 えめな話し方のなかに、自信がのぞく。

 秋津野塾の事務局がある農村環境改善センター。正面玄関前に据えられた御影石の石碑に、「豊かなむらづくり秋津野塾天皇杯受賞記念碑 平成8年11月23日」と刻まれている。
 秋津野塾を中心とした地域づくりが始まって2004年でちょうど10年。受賞は、どこにでもある “むら” のひとたちに自信を与え、やる気を育んだ。賛同するひとが増え、そう したなかからいくつもの地域づくりの芽が生まれ、 育ってきた。 地域社会は、結局はそこに住む住民一人ひとりがつくりあげていくのだということを気づかせる好機になった。上秋津の地域づくりは、天皇杯受賞の日から、次のステージに向かっての取り組みが本格的にスタートしたのである。