佐向谷地区

佐向谷地区

集落
 この地区は谷間にあり斜面で水の流れが速く昔から「水害谷」と呼ばれ県下でも水害で有名な地区であり、明治22年の水害でほとんど地区の原形を失った。そのようなことがあり人々は山すそに住むようになった。専業農家が多く、柑橘類がさかんで、水田は少なくなった。昔からこの地域は米作りが主流だったが周囲の地区など米作りでは大きな地域でまだ上秋津の規模が小さかったため、みかん作りを導入し成功した。
 地区の高齢化率は30 パーセントぐらいで、若い人は、ほとんど地域外へ出ていってしまう。
「山あがり」といって、近くの山へ上り小さい土地を開墾し、自給自足の生活をしていた。大体標高50 〜 100m くらいの谷の水源に近いところの谷田で最大10 畳ぐらいの田を開墾して生活していました「高地(タカジ)」(山のてっぺん)というところで昔集落があったのではないかと言われている。

資源
 磐上神社の社はもともと現在の社の向かいの山手にあった。祠は一度川上神社へ移動したが、元の場所へ戻した。大きな岩の元にまつっているというのが名前の由来である。

自然
 現在は草原の川原も昔は草がなく砂利であったため、川でよく遊んだ。地区の道は、昔のまま残っている道である。