美しき水の里のいくつもの自慢

美しき水の里のいくつもの自慢
3.奇絶峡を守るひとたち

 不動の滝が高さ23メートルの岩肌を流れ落ち、川のなかには巨石や奇岩などが荒々しい自然の造形を繰り広げる。大小無数の、変化に富んだかたちの岩々は、いくつかの物語を生みだした。奇絶峡の「渓谷美」は高尾山と並び、多くのひとたちが地域の自慢・誇りにあげた風景である。
 春の桜、新緑の初夏、秋の終わりは、紅葉が山峡を錦秋に染め上げる。夏、奇絶峡の青い淵には、こどもたちが次々と飛び込む。この地域の子どもたちの間でむかしから行われてきた、いまも続く水遊びである。近年は市内の各地域からこどもたちがやって来る。
 
例年、1月から2月の奇絶峡で、木を植えるひとたちがいる。奇絶峡整備委員会のメンバーである。奇絶峡整備委員会は、秋津谷と呼ばれる三つの地域、上秋津と、隣りの秋津川地区の秋津川振あきづだに興会、秋津町のトンボクラブの3つの団体で組織する。2000年、それまで個別に活動してきた各団体が、秋津谷の良さと自然について多くのひとたちに理解してもらおう、という目的のもとにひとつになったボランティア団体である。
 田辺市を代表する紅葉やヤマザクラの景勝地として知られる奇絶峡。数百本の木の多くは、委員会の呼びかけで集まったひとたちが中心になって植えたものだ。参加する住民が仕事に比較的ゆとりがあり行動しやすい冬は、清掃活動が展開される。空き缶やペットボトルなどのゴミが目立ち、毎日集められるゴミはかなりの量にのぼる。2003三年は、田辺市が作った案内板を、20数カ所にとりつけた。委員長をつとめる栗山和明さん(1951年生)は、上秋津地域の千鉢地区に住む。「来たひとには『きれいやなあ』だけではなく、奇絶峡の地名や言い伝えなどをおぼえて帰ってほしい。秋津谷を知ってもらいたいのです」。

 栗山さんは、奇絶峡の滝付近から高尾山に一度登ってほしいという。約2時間かけてたどると高尾山への道からの眺めは、言葉にできない美しさだと語る。その登山道の修復なども、栗山さんらボランティアによって行われる。「一杯飲みながら、いろんな話をするんです。すると、『こんなことをやろう、あんなことやろう』、と、いろんな発想が出てくるんです」、そう話す栗山さんの声はうれしそうだ。
 
委員会の活動は自主的な取り組みが多い。汚れが気になったひとがトイレを掃除する。殺風景と感じたひとが花を生ける。美しい自然環境を守り後世に残そうと、川の流域の三つの地域が手をつなぎ、ひとつになった整備委員会、ボランティアの輪は秋津谷から市内全体に広がり出した。「夏はこどもたちが主役です。地域の貴重な財産、いつまでもきれいに保っていきたい」。奇絶峡の緑の峡谷と、美しい水を守ろうとするひとたちの活動は続いている。