「若中」、祭りを通して地域社会を知る

●「若中」、祭りを通して地域社会を知る

 笛、太鼓にあわせて、獅子が舞う。天狗が飛び、鬼が躍る。川上神社で毎年11月23日におこなわれる秋祭りの呼び物の獅子舞である。獅子は「オ」(雄)と「メン」(雌)の頭(かしら)、上組と下組から出る。上組は杉の原、千鉢、河原、下組は岩内、かみしも園原、平野の各地区で、「おおむらじ」と言われる川上神社の氏子たちである。
 川上神社の祭りは、もともとは12月9日におこなわれてきた。祭りの当日は、佐向谷にある磐
上神社から川上神社までの2キロメートルほどの道を、お渡り神事の渡御がおこなわれ、社殿で神
官が祝詞をあげたあと、二つの組が別々に獅子舞を奉納する。
 祭りには、獅子頭を迎える宿(当屋ともいう)の家が、それぞれの組にある。宿は、毎年回り持ち
やどとうやである。2002三年、上組の宿は、千鉢地区の農業野村雅男さん(1927年生)の家であった。
 祭りの10日前の宿入りの日、野村さん夫婦は、「獅子頭を床の間に迎え、獅子舞の演じ手である
青年たちを出迎えた」。宿の家では祭りの日まで青年たちの練習が続き、主人は「酒食で接待する」。
いまでは遠くなった青年の日、野村さんの祭りの日の役は「笛を吹く」ことだった。
祭り前日の宵宮は「じげ回し」といい、2頭の獅子が総勢約20人の演じ手とともに地区の各家を回って歩
く。現在は二頭が“手分け”して回るが、以前は「1軒1軒全部回して歩き、それは、朝8時頃から夜中の1時、2時まで続いた」。そのあとをついて回るのが、こどもたちの楽しみであった。男の子は、小学校高学年になると、「獅子を持ちたがった」。
 祭り当日、上組、下組の獅子は順番に、それぞれ社殿の前で舞う。そして、奉納を終えた一組が、次の組とすれ違うときに激しくぶつかり合い、喧嘩に発展する。「あばれ獅子」の名は、そこから起こった。そのため、一時中止していたが、1990年代初めに復活した。「地域の対抗意識が強かったのでしょうか」、と野村さんは言う。祭りの喧嘩とざわめき、その余韻が残るなかで、上秋津の特産であるミカンの収穫作業が本格的に始まるのである。
 ところで、獅子舞の演じ手である青年たちは「若中」と呼ばれる。祭りをおこなうための若者組織で、地元の青年たちはむかしもいまも学校を卒業すると、この「若中」に入る。25歳までと年齢制限があった。先輩後輩、上下関係が厳格で年少者には「おそろしく」もあったが、かれらはそこで祭りのことや村のことを「自然に学んで」いった。戦後しばらくまで、各地には青年たちの「若衆宿」があったが、「若中」は青年が地域社会の一員となるための「もうひとつの学び」の場としての役割を果たしていたことになる。いまも続く川上神社の秋祭りと獅子舞の伝統、上下2組には、それぞれ30人くらいの「若中」がいる。
 宿の大役を無事に終えた野村さんは、肩の荷が下り安堵したようだった。「祭りと獅子舞は、この土地に住むものには若い頃から慣れ親しみ、愛着があるのです」、守り伝えたい文化と習わしがそこにある。