秋津野を知る

地域づくりU(地域の経済活動にも)

 秋津野塾事務局〜上秋津公民館
〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津2046 上秋津農村環境改善センター(農村センター)TEL 0739-35-0004

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地域づくりと農業(〜平成15年)

農業が、地域が、世界経済と密接に関係

 今世紀に入り、世界経済がそのまま地域経済と結びつくようになってきた。
 世界の何処かの出来事が大きな波となり、地域経済に影響を及ぼす時代になってきている。その影響は、そのまま地域農業にも及ぶようになった。その例が上秋津の特産の一つでもある梅干しである。特に中国梅の輸入拡大で安価な梅干しがスーパーや量販店に並びはじめおり、いずれ国内の青梅や梅干しの価格形成に大きく影響することは必至である。
 昭和40年代に起こった上秋津特産のみかん価格の大暴落が地方経済に与えた影響は非常に大きく、そこから地域や農家が学んだ複合経営を、今一度考えなくてはならない時期に来ている。

青ウメウメバブルが地域を迷わす

 政府のオレンジ、オレンジ果汁等の自由化で、農産物輸入の影響をいち早く受けたのも、全国のみかん産地であった。当地方でも例外ではなかった。危機が訪れるたび、農業者や上秋津農協(その後の紀南農協上秋津支所)の生産販売委員会を中心に、上秋津にあった品種への切り替えを目指し、栽培のための研究や試験を繰り返し、多種多品目栽培へと切り替えがすすんだ。その結果、農家経営を立て直して地域を支えて来た。
 昭和の終わりから地域農業の救世主であった『ウメ』も、今日に至っては、安い中国産の加工ウメに量販店の売り場を占拠されるほどになってきている。
 "一つの品目(品種)で30年栄えた産地は世界中を探しても無い"と和歌山大学の農業経済学部の教授は大きな声で警告を発し続けている。
 いずれ、近い将来、ウメの取引価格も下がることは必至である。上秋津の農業も、これ以上、ミカンや柑橘栽培からウメ栽培への切り替えは非常に危険と考えられる。
 今日の価格帯でのウメ製品の販売が、この先も消費者が受け止めてくれるかは、はなはだ疑問でもある。日本経済バブルと共に健康食品ブームにのったウメ干し商品であるが、今日、過剰塩分摂取が問題視される時代への変化と共に、ウメ干し製品の減塩化もすすみだしている。しかし、消費の伸びは限界を迎えつつあるのではと考える。そろそろウメ消費とウメ生産のバランスが崩れかけているのでは?と感じている農家や梅の加工販売業者も多い。
 近年のみなべ地区、田辺地区のウメ畑の拡張ぶりはどうだろうか、 消費の伸び悩みと反比例するかのように生産拡大が続く。このまま推移すれば、近い将来、日本の温州ミカンがたどった道になり、農家や地域を苦しめることにつながらなければよいのだが、見通しを誤れば、600億とも700億円ともいわれている梅産業全体が大きな影響をうけかねない。
 今、秋津野の農家は大きな判断期を迎えている、販売単価が高いウメ栽梅干し培中心に舵を切るのか?これまでの上秋津の特産のミカン・柑橘を主体に梅との複合経営状態を続けていくのか?、これまで幾たびかの農業危機を乗り越えてきた経験や知識を先輩農業者から後輩農業者に、秋津野の農業の方向性を示す時であろう。
 この先、農業にいかに自信とやる気を与えられるかは農業関係機関・組織の指導力はもとより、農家の意識改革が問われる時代へと入ってきている。また、秋津野塾でも地域経済が弱れば、今日のような地域づくりも困難になるのでは? 地域づくりを通して農業の活性化の方法を探る必要があるのではという議論も盛んになった。

秋津野でも田辺市でも経済循環が滞る

 農業のおかれている現実を直視したうえで、対策をスピーディーにおこなわなければ、5年後、地域経済に大きな影響をもたらすのは必至である。
 この地域で外貨を稼ぎ出すのは農業であり、農業収入が減ると、たちまち地域にお金が回らなくなる。そうなると地域経済循環が絶たれてしまう。ますます、地域が冷え込む悪循環の繰り返しが始まる。
 平成6年の秋津野塾が誕生した時、上秋津の農協に出荷される農産物だけで24億円に達していた。しかし、今日では大きく落ち込んでいる。卸売り市場経由だけの販売では、この先、どこまで落ち込むのか不安を抱える農家は多い。
 これまでのような、市場流通への偏りやプロダクトアウト的な栽培形態をつづけていれば、上秋津の農業生産額大きく落ち込んでいくのも予想される。このまま、激化する産地間競争を続けていれば、どこの産地も体力を消耗してしまう。早急に、卸売り市場経由の販売依存を減らす必要性が迫っているのでは?。とりわけ地産地消や産地直送地域資源を活かした交流・体験型販売など新しい流通への挑戦も待ったなしである。また、農産物に付加価値をつけ加工販売出来る、商品の開発なども急ぐ必要がある。 
 今後、秋津野の地域づくりにおいて農業の活性化をどのように行っていくかが問われいる。

地域づくりを持続させるためにはソーシャルビジネス

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『きてら』は秋津野ソーシャルビジネスの原型

 コミュニティーづくりから、ソーシャルビジネスに一歩を踏み出す瞬間!
 秋の秋津野は、実りの秋である。特産の温州ミカン、富有柿、イチジクなどの果物、キノコの種類も多く、松茸も並んでいる。おじいちゃ、おばあちゃんが育てたみずみずしい野菜もある。はじけた紫色の皮の間から白く甘い蜜を滴らせるのは、アケビである。
 上秋津の中心部を抜けて龍神村方面へ約1.5キロメートル走ると、河原地区を流れる右会津川のほとりに、木の匂いがする建物が建っています。
 上秋津の秋津野産品直売所「きてら」である。「きて」は「来て」、語尾の「」は「〜してね(よ)」をあらわすこの地方の方言。つまり、多くの人に来てほしい、「千客万来」への願いが、店の名になった。

地域づくり延長線上で、地域の住民31名の出資でスタート

 地域づくりの延長線上で、地域住民が出資し、「きてら」は、1999年(平成11年)5月に現店舗よりも500メートルほど離れた下手の、千鉢地区の県道沿いに開設された。
 その年の春、紀南地方を会場に和歌山県が開いた南紀熊野体験博を機に、地元住民の間から特産品の直売所の開設を望む声があがったのがきっかけでありました。上秋津は、これまでも述べてきたように一年を通して温州ミカンを中心とした柑橘が収穫できる。ウメがある、スモモや柿もある。農家がふだん食べている野菜がある、花もある。地域活性化のひとつの方法が、直売所の開設でありました。
 「自分が作ったものに自分で値を付けて消費者に直接買って喜んでもらう。いいものを作らないと売れない時代、新鮮で安全な商品を安く買ってもらいたかった。
 地域づくりは、経済面がともなわないと長続きしないというのも現実だ。資金は有志31名が出資をし、310万円が集まりました。農家だけではない、商業関係者、サラリーマン、いろいろな職業のひとたちが金を出し、出資者に名前を連ねた。出品する商品の値段は出荷者が決める。地域住民であれば、手数料の15%を納めれば、だれでも出品できるシステムをとった。販売には、女性たちがパートタイムで勤務することにした。

消費者が直売所で商品を買う習慣が無かった

 店はプレハブで、広さは10坪もない、客が数人入っただけで店内はいっぱいになった。
 照明は、昼でも薄暗い。お世辞にも立派とは言えない建物。すべてが手探りで、すべてが手作りであった。しかも本来なら直売所のユーザーが多く暮らす市街地に近い主要幹線道路沿いの駐車場が広くとれる立地に建設するのが直売所経営を考えた上からも大事なことである。しかし『きてら』はあくまで地域づくりであるため、市街地から5キロ山沿いの上秋津地域に建設した。お世辞にも好立地とは言えない。
 直売所を構え、生産した果樹やウメなどにみずから値をつけ、自分たちの手で販売・運営していくのは、上秋津では初めての経験である。この地域でも、ほかの多くの地域がそうであるように農産物の販売は、農協をとおしておこなわれてきた。
 上秋津マスタープラン策定委員会が、平成12年におこなった「農作物の販売額および販売方法」に関する調査でも、温州ミカンの販売は60.3%が「すべてあるいはほとんどが農協共販」である。中晩柑類は45.4%、青ウメは67.3%、七割近くが「農協共販」をとおしておこなわれている。「個人による出荷・販売は少数派」で、「卸売市場を媒介せず直接消費者などへ販売直販もわずか」なのが、現状でした。「きてら」の開設は、それまでの「やり方」とは違うもうひとつの方法を意味していました。
 平成11年の5月に開店した農産物直売所きてら。しかし、夏に向かうプレハブの店内は、日を追って持ち込まれる商品の種類や量が目に見えて減っていきました。当然、売り上げは伸びない。少ない売り上げは、パートの女性に支払うアルバイト代、土地の借地料、光熱費などに消えていきました。8月、9月と2か月連続の赤字になった。「売れるのかなぁ?」と半信半疑の者が多かった。


倒産していれば...

 このとき倒産していれば、その後の地域づくりはなかったかも?自分たちで始めたこと、自分たちで解決しなければ笑いものになる、倒産するという思いで。上秋津地区にある産物の詰め合わせセットを200箱つくりました。これを役員さんが親戚、知人、縁故をたよって、時には自爆営業になった役員さんも...しかしそれが完売! ふるさと直送便『きてら』セットと名を打った売った商品の販売で、倒産の危機を乗り越えた。
 「きてらセット」は、1セット3000円ほど。この詰め合わせセット商品が、人気を呼ぶ。年度末、決算がまとまった。初年度の売り上げは、1200万円近くに達していた。関係者の間にあった不安が払拭された。何もしなければゼロ、行動すれば成果がある、かすかな自信が芽生えた。きてらセットが売れて客が増加した。人が増えれば商品も売れる、みんなの意識が変わっていくった。

地域初の直売所は、農村によくも悪くも“さざ波”となって広がった

 これまでの卸売り市場経由の大量流通システムでは味わえない喜びがあり、その結果”考える農業者”が多く誕生した。
 倒産の危機を救った、ふるさと詰めあわせセット(きてらセット)は、毎年、春と夏と冬の3回売り出す商品で、きてらの“経営の柱の一つ”的な存在だ。注文をはがきやファックス、インターネットなどで受け付け、地元特産のミカンを中心に季節の果樹や加工品などを詰め合わせにして、申し込んだ消費者のもとに宅配便で届ける。マスコミが紹介したり口コミで広がり、売り上げは“倍々ゲーム”のように増え続ける。「自信」はやがて、「確信」に変わる。

マスタープラン

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広域合併が地域の個性が失われる

 大きな市や組合に吸収合併された小さな町村や農協は、たちまちアイデンティティを失い、人口減少に拍車がかかり、やがて地域毎の個性を失い、寂れたたたずまいを見せるようになるというのが山間地に暮らす人々の大方の予想であることに誰もが否定しない。それでも効率化をすすめなければ行政や農協を守れないとばかりに平成大合併が進み出した。
 私たちの暮らす上秋津は今後どのような未来予想図が描けるだろうか?マスタープランの中に出てくる10年後の平成24年〜25年の上秋津の姿はどのようになっているだろうか?広域化した田辺市は?広域化した農協は組織と組合員との関係性はどのように変化しているだろうか?
 秋津野マスタープランのアンケート調査(平成12〜14年)結果を見ても、平成20年を過ぎる頃から、上秋津地域でも農業従事者の高齢化と後継者不足が一段と進み出すのでは考えられます。健康食品ブームにのった南高梅の販売も頭打ちから価格低迷期に入ってきている。昭和40年代にみかん農業が経験したってきた暴落という洗礼も受けなければならない時も来るかもしれない。
 マスタープランの中には、今後、実践していかなければならない事項が多く指し示されているが、とりわけこの地域の経済を担っている農業の活性化は待ったなしではないだろうか?

実践マスタープラン

 平成14年に出来上がった秋津野『マスタープラン21』の実践への挑戦がスタートする。

マスタープラン4つのテーマ

 T.暮らしを豊かにし、住み心地が良い地域を創る
 U.訪れるひとびとの琴線を揺すぶる地域を創る
 V.『農村と都市の結婚』による新しい魅力的な地域を創る
 W.住民主体、『行政・大学参加』が原則の地域づくりを進める

 重点目標は環境保全型・循環型地域の創造などである。
 「秋津野マスタープラン21 」は、向こう10年間に取り組むべきと考える主要な目標を示している。つまり、21世紀初頭の地域づくりの目標である。それは、地域の未来像、将来の行方を左右する意味をもつ。
 重点目標が語る近未来の地域のすがた、地域づくりの目標をキーワードでまとめてみた。「循環型社会」に「環境」と「文化」で地域を再生する。それは「協働」と「連携・交流」のなかから創造される可能性がある。

重点の目標は7つである。

 1.環境保全型・循環型地域の創造
 2.安心・安全な食べ物の供給拠点づくりと農業の総合化の推進
 3.農村的要素と都市的要素の融合した地域の創造
 4.「草の根文化」の創造
 5.「遊びの場」の整備と福祉の充実
 6.訪問者に感動と親切なもてなし(ホスピタリティ)を提供できる地域づくり
 7.地域住民の「協働」の輪の拡大、ほかの地域との交流・連携の強化
 
 すべての目標への挑戦は必要であるが、すべてを秋津野塾で取り組むにも限界がある。マスタープラン実践にむけては、秋津野塾加入24団体がそれぞれが主体となって取組み実現する目標や、また住民一人ひとり、農家・商店などが取り組む必要性のある目標、そして新たな組織構築(時間を要す)を行ってから取り組む必要性があるもの。そして、これまでのように秋津野塾を中心として取り組まなければならないもの。様々な条件を整える必要性がある。いずれにしても秋津野の組織・団体・法人・地域住民、そして大学や行政との連携体制で臨むことで、10年先に完全にプランが実現されていなくても、目標達成に向けた歩みが地域力として育まれ、10年後には、また新たな目標にむけての挑戦を始めることができるであろう。
 時代の変化はあまりにも早く、重点目標でさえ変更を余儀なくされる時が来るかもしれないが、時代の変化をうまくとらまえて、その方向性を修正しながら柔軟に目標に向かう必要性もある。
 こういった目標ができることで、秋津野は新たな挑戦への幕を開くことができる。 

 平成10年〜15年
 
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このページは上秋津公民館と秋津野マルチメディア班で更新作業を行っています。